泰山タイルとは

泰山タイルは、泰山製陶所(たいざんせいとうしょ)によって作られた建築用装飾タイルです。
泰山製陶所は、大正6年(1917)から昭和48年(1973)の間、京都駅のすぐ南側(東九条大石橋高瀬川)にて、
池田泰山(本名・泰一)により、陶磁器製品専門の工場として開所されました。

泰山タイルの大きな特長は、清水焼がベースであることです。当時の日本の陶磁器研究の最高機関であった京都市陶磁器試験所にて学んだ泰山は、近代化日本における陶磁器の多様性に注目し、木材よりも長期間使用でき、手入れが簡単で衛生的であるタイルに注目しました。

泰山タイルは、その制作工程すべてが手作業であることが第一条件に挙げられます。当時、近代化著しい日本では、多くの工業製品が機械化によって作られる中、泰山はその全ての制作工程を、人による手作業で作ることに最もこだわりました。なぜならば、泰山は自らが制作するものは、基本が清水焼であるという信念を持っていたからなのです。

その結果作られた製品は、他社の製品にみられることのない精巧さと、釉薬の窯変によって得られる唯一無二の美しさがありました。その姿から「美術タイル」とも称され、当時建築された多くの洋館などの装飾品として重宝されるようになります。使用された建物は、日本を代表する建築家が設計した洋館はもちろん、町家をはじめとした一般住宅、喫茶店や銭湯、遊郭建築に至るまで、街を彩るさまざまな種類の建物に使われました。のちに皇室への献上品(香炉)をきっかけに、皇室関連の建物への制作にも携わりました。

脈々と受け継がれる伝統と創造。
工芸品でも美術品でもない、独自性。

泰山タイルは、京都で作られていたため、京都市内をはじめ関西一円にて多く使用されたことが分かっています。特に鴨川沿いの建築に多く使用例があることにも注目したい事実です。(鴨川の水運を使って運搬)その納入と施工には、泰山製陶所専従の専門職人が施工したもの、地域の特約店を通じて納入されたのち地域の左官屋が施工したもの、泰山製陶所から直接個人で買い付け、日曜大工(DIY)で施工したもの、おおよそ3通りの方法があったことが分かっています。
泰山製陶所で作られた製品の中でも特に注目するのが、タイルを割った陶片により作られる美術品「集成モザイク」です。泰山タイルの真骨頂として知られ、特許も取得されました。集成モザイク作品は、当初、新しいジャンルの芸術的調度品として制作されましたが、後に風水や縁起物的な影響も受け、子孫繁栄や火災除けとしても制作されています。水に関連するデザインや施設への施工が多いのも特長の一つです。

さらなる評判を呼んだ泰山製陶所製品は、北は樺太、南は鹿児島発の沖縄連絡船、海外においては中国大連、香港、上海、ソウル、台湾、フィリピン、シャム(タイ)に及ぶまで、多くの国々で使用されたことが分かっています。海外においては、そのほとんどが、政府機関や王室などの特別な建築であったことも注目したい事実です。
ただし、これら泰山製陶所の納入記録は=必ずしも泰山タイルではないということに注意が必要です。現在、泰山製陶所で最も有名な製品はタイルでありますが、実は、瓦やれんがをはじめ、室内装飾品、花瓶、器、茶器、陶額、さらには壁泉、裸婦像、小便小僧、橋の欄干擬宝珠に至るまで、多くの陶磁器製品の制作を行っていました。ちなみに、集成モザイクをはじめとした泰山製陶所製品には、基本的にデザインを担当した作家がいました。

記憶に残すことは、技術に残すこと。
これから先の100年にも、泰山タイルを。

泰山製陶所は残念ながら昭和48年に閉所しますが、その56年の歴史の中で東九条で作られたすべてが、まぎれもない泰山製陶所の製品です。このオフィシャルウェブサイトを通じ、正確な一次情報に触れていただき、世界中の泰山タイルをさらに愛していただくきっかけとなれば幸いです。

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