大正時代、京都で生まれ、数多くのタイル愛好家や建築物愛好家をうならせてきた「泰山タイル」。
いまだその多くの情報は、統一性なくインターネットの世界に散らばっている。今回泰山タイルオフィシャルサイト立ち上げに伴い、プロジェクトにご協力いただいた泰山タイルの生みの親・池田泰山の孫である池田泰佑氏と、泰山タイルをこよなく愛する柏原卓之氏をゲストにお迎えし、令和泰山運営事務局スタッフも加わり、委員会発足に至るまでの経緯を伺いました。
泰山タイルの魅力とは、なぜこのタイミングで委員会発足となったのか、後世に残すため何を発信していくべきなのか、語ってくださいました。
※本インタビューは、2022年10月20日現在の内容です。

集成モザイク作家池田 泰佑

1943年池田泰山の孫として京都に生まれ、数多くの彫刻作品で入選を果たし、1969年に泰山製陶所へ入所。1990年京展(陶製モザイク)入選からモザイクタイルの壁画制作による個展などを開催、活動をしている。

泰山タイル愛好家柏原 卓之

泰山タイル愛好家。泰山タイルの救出を目的とした収集活動を行う。50作品以上を所有する日本一のコレクター。

令和泰山運営事務局
代表 中村 祐幸(右)・運営委員 嵯峨 広造(左)

大阪で70年以上続く老舗のタイル専門商社・施工会社による運営事務局。
きっかけは、倉庫で見つけた一枚のタイル。泰山タイルを後世に残すため、2023年6月に設立。

一枚の泰山タイルとの出会い。その魅力について

(インタビュアー、以下 ─ )
柏原さんは泰山タイル愛好家であり日本一のコレクターでもありますが、初めて泰山タイルに出会ったのは?
柏原:
僕は京都の「まち歩き」ガイドもしているのですが、その資格を取るために勉強したり、京都の街を歩いたりしている中でたまたま泰山タイルに出会ったんです。タイルなんて見慣れたものだと思っていたのに、こんなにも美しいものが世の中にはあるのかと衝撃を受けて。
偶然の出会いだったんですね。
柏原:
そうです。僕は「タイル」ではなく、泰山タイルにひかれているわけですけども、その理由は、何よりこの色ですね。色のカラフルさ。
確かに独特の色合いですよね。
柏原:
はい。しかし当然のことですが、これはと思うものを見つけても、自分の思い込みや独断だけで泰山タイルだと断言することはできません。確実な物証、資料精査、取材などで裏付けを取ることを徹底するようにしています。
そうしている所で、今日参加している中村さんや嵯峨さんの所属している中村タイルさんがSNSで「大量の泰山タイルが見つかった」と発信しているのを見つけて、すぐに連絡を入れたのが、わたしたちの出会いのきっかけでした。

泰山タイルを後世に残すため、一枚のタイルに集ったおとこたち。

そうなのですね。発足者の中村さんは、大阪で70年以上も続く老舗のタイル専門商社・施工会社の代表でもありますが、どうして御社から大量の泰山タイルが見つかったのでしょうか。
中村:
弊社は過去に泰山製陶所とお取引が長くありました。当時は泰山タイルをたくさん仕入れていまして、数多くの施工案件を納入しました。そのご縁があって、今回このような場に携わることになった次第です。泰山タイルそのものは約50年前の泰山製陶所の閉所に伴って生産は終わっているんですが、当時、弊社は泰山製陶所のタイルを使った工事を多く請け負っていました。その際、余剰のタイルはすべて倉庫に保管していたようです。当時から非常に高価で芸術的な装飾タイルでしたから、先代社長もこれは絶対に処分しないようにと指示していたそうです。それで弊社の倉庫に50年以上保管されていたわけです。
それは本当に貴重ですね。
中村:
泰山先生のお孫さんでいらっしゃる池田泰佑先生とは以前からお付き合いがあったのですが、柏原さんからご連絡いただいたこともあり、新しいご縁ができまして。
何せ50年以上前ですから、当時のことは三代目代表の私や事業部長の嵯峨も生まれる前の時代なので直接知るところではないのですが、先代の社長はたくさんのお仕事をご一緒しておりまして、多くの泰山タイルを仕入れて現場に納めていました。
そういう巡り合わせもあって、私や嵯峨も泰山タイルの魅力をもう一度世の中に広めて残したいという思いで、池田先生や柏原さんと泰山タイルのことを後世に伝える事務局を立ち上げようと意気投合しました。
嵯峨さん、今回の「令和泰山運営事務局」の設立の経緯などを詳しくお願いできますか。
嵯峨:
泰山製陶所が閉所して50年になる2023年が、日本のタイル名称統一100周年という節目の年(2022年4月12日より1年間)にもなっていまして、いまタイル文化に興味を持つ方がとても増えています。泰山タイルについても近年世間の関心が高まっていて、とても喜ばしいことなのですが、玉石混合にさまざまな情報がネットで飛び交うような状況になってきて「この建物に使われているこのタイルは泰山タイルか否か」的な議論までが、いろいろな方がいろいろな形で語られています。でも、なかには明らかに事実と違う情報もあり、だいぶ錯綜している状態でもあるので。
不確かなことでも、ネットでは、さも本当のことのように広まってしまう危険もありますね。
嵯峨:
ですので、泰山先生のお孫さんであり、集成モザイク作家でもある池田泰佑先生と一緒に池田泰山先生ご本人のことや、泰山製陶所、そして泰山タイルについての正確な一次情報をオフィシャルな形で発信していこうということになりまして。
このポータルサイトを活用して、「この建物に使われているものは間違いなく泰山タイルである」という「お墨付きリスト」として、いろいろな方面と連携していけたらと思っています。

日本のタイル名称統一100周年の節目(2022年4月12日より1年間)に、
再度注目の集まる「泰山タイル」

では池田泰佑先生、今のこのタイル名称統一100周年を迎えてのムーブメントや、泰山タイルに再び注目が集まっていることについてどうお感じになりますか。
池田:
とてもありがいことです。たぶん祖父も驚きながらも喜んでいるのではないでしょうか。私も若いころは泰山製陶所に勤め、祖父の影響を受けて集成モザイク作家になりましたので、多くの方がタイルの魅力を再発見してくださるのは本当にうれしく思います。
現役時代の泰山先生はどんな方だったのでしょうか。
池田:
泰山のタイルは、多くの建築家の方に非常に愛され、さまざまな建築デザインに使われました。建築家の方が工房に依頼に来られると、泰山は長く住まいとして借りていたお寺の広い本堂にお連れして図面を広げ、夜通しかけて打ち合わせというか、議論をしたそうです。
夜通しですか。それだけ建築家のイメージをしっかりと捉えてから装飾タイルの制作にかかりたいということですよね。
池田:
建築家とのコミュニケーションを非常に大切にしていた人と聞いています。建物を良くすること、そして住む人がずっと住みやすくいられる環境を作ることに強いこだわりがあったようで、ときには建築家に「この場所とこのデザインには、泰山タイルではなくて、別(製陶所)のタイルを使ったほうがいい」と勧めることまであったと聞いています。建築物があってこそのタイルだということでしょうね。
柏原:
当時、スペイン風邪の流行でタイルの衛生機能が注目され、大正モダニズムと重なって、泰山タイルは当時の上流階級や富裕層にも大変人気だったようです。当時は今よりももっと建築に贅を尽くした時代ですし。評判が広まって、政府の近代建築物や、皇室や宮家の方々の住まいにも使われたと聞いています。
池田:
いろいろな美術工芸品に造詣が深い方が泰山のタイルは少し違うと仰ったそうです。具体的な例としては、建築家の渡辺節さんが綿業会館の7メートル四方に納められている大きなタペストリーのような泰山タイルの壁を作ったとき、渡辺さんは現場にずっとつきっきりでいらしたそうです。設計者が現場で指示をすることは滅多にないことなんですが、渡辺さんが「この場所のタイルは、もう少しこういう色に変えられないだろうか」などと細かい案をその場で出される。泰山はそれをすぐ工房に持って帰って、色を調整し焼き直して、また現場に持ってくる。その繰り返しで作り上げた作品だそうです。
建築家と一緒に、一枚一枚こだわり抜いて作り上げたのですね。
池田:
泰山は、工芸品というものは、何かに使われてこそだと言っておりましたので、デザイン ― そのころは、意匠とか模様と言いましたが、デザインというのは使う人が上手く使えてこそだと。それを第一に考えてタイルを作っていたと思います。宮家の方々のお住まいから庶民の生活に密着した場まで、広く泰山のタイルが使われたのは、建築の作り手、建築物の使い手のために、使いやすさを徹底的に追及する。そういった美術の「美」と工芸の「工」の絶妙なバランスが泰山タイルの魅力として愛されたのではないでしょうか。
泰山タイルは、美しいのに、見るだけのものではなく、人の生活に密着したところが感じられますよね、お話をうかがっていると。
柏原:
泰佑先生のお宅にうかがうと、菓子皿やお茶碗として、泰山先生作のお皿が出てきたりします。僕は、その泰山湯呑でお茶をいただいたりしていますけども(笑)。使うものとして作られた美というか、飾っておくだけのものではない美がありますよね、泰山の花瓶にしてもそう思います。
池田:
花瓶も、花を活けたときに一番美しく見えるよう作るものですから。タイルもそうですが、陶磁器は、清水焼や有田焼であっても、人の日常生活に使われたときに初めて活きてくるものだと思っています。
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