きんせ旅館は泰山タイルが張られていることで知られている建物です。言い伝えでは江戸時代後期に造られた建物で、遊郭の揚屋として使われていたとのこと。その後、大正、昭和初期と複数回の改装を経て現在の姿になりました。
乱張り=泰山タイルではありません!
まず最初に、きんせ旅館のタイルを語るにあたり大切なことがあります。それは張られているタイルは全てが泰山タイルではなく、別の製陶所のタイルも数多く張られていることです。
きんせ旅館で見ることが出来るタイルのスタイルは「乱張り」と言います。この乱張りが全て「泰山タイル」と言われがちですが、先に説明したように泰山タイル以外のタイルも多く使われている為、泰山タイルと限定する表現ではなく「美術タイルの乱張り」もしくは「タイルの乱張り」と呼ぶことが相応しい表現です。これは現存する乱張りタイル全てに当てはまります。
施工は小木曽タイル
きんせ旅館は昭和初期に改築された際、玄関、サンルーム、トイレにタイルが施工されました。
施工は京都のタイル取り扱い会社「小木曽タイル」が行いました。小木曽タイルは泰山製陶所をはじめ、大正から昭和にかけ美術タイルを製造した多くの製陶所との取引があり、京都、滋賀エリアの特約店として、材料や左官職人の手配などを行いました。(きんせ旅館のタイル施工に関して泰山製陶所は関わっていません)
玄関部分のタイルは色とりどりのタイルが張られていますが、レリーフ(凹凸)がないタイルは一般的な衛生タイルとして造られたものです。左官職人の高い技術により、まるで宝石が敷き詰められたような見事なタイル張りが造り上げられています。
赤い目地は岩絵具で着色
このタイル張りがより華やかに見える理由のひとつに、目地が赤いことが挙げられます。目地には通常の白目地の上から筆で顔料(紅色)が塗られています。施工を行った小木曽タイルと老舗顔料問屋「上羽絵惣」との取引記録が残っており、岩絵具が使用されていることが判明しました。
※赤目地が「紅殻」であると言う間違った情報が拡散されています。ご注意下さい。
サンルーム
サンルームにもたくさんの美術タイルが張られています。特に注目したい事実は、泰山タイルよりも他の製陶所が造ったタイルの方が多いことです。
泰山タイルの他、泰平タイル、山茶窯タイル、宇野美術タイル、俊山窯、東山窯、日本製陶、伊奈製陶、陶磁器試験場(所)で造られた試作品など、多数の製陶所のタイルが使われています。きんせ旅館において最も枚数が多いタイルは宇野製陶所が造った宇野美術タイルです。
乱張りは余ったタイルを集めたり再利用した集合体ではなく、職人が設計図を書いた上で、必要なタイルを枚数単位でメーカーに発注し、その上で施工されました。
一部、釉薬テストなどで焼かれたタイルも混ざっていますが、そのような「試験ピースや半端物を集めて造られたものが乱張りである」と言う表現は著しく間違っています。あくまでも制作過程の中で一つの素材として必要とされ使われました。
施釉の衛生タイルや凹凸のあるレリーフタイルの他、筆により絵が描かれたタイル、釉薬以外の素材によって焼成時に特殊な変化がもたらされたタイルなど、多様なスタイルのタイルが張られています。
尚、この時代のタイルは基本的に型から起こされているタイプのものが多く、職人が工芸品のように一から形成し製作したものはほぼありません。これらのタイルを時に「工芸タイル」と表現されることもありますが、工芸の定義も含め、そのような呼び方は陶磁器試験場(所)では使われておらず、呼称の紛らわしさを助長する為、使用を控えたいと考えています。
見た目で判断してはいけません
またこれらのタイルを見た目のデザインだけで製作した製陶所を判断しては絶対にいけません。泰山製陶所を含め美術タイルの製造を行っていた製陶所は、そもそも陶磁器試験場(所)で開発されたタイルを製品化することをベースとしていました。その為、同じデザイン(見た目)でも製造した製陶所が違うことがあります。型のみを作っていた職人や型形を専門に販売していた業者も存在し、また製陶所間でもその型形の貸し借りも行われていました。さらに同じデザインのタイルを複数の製陶所が共同で受注し製造(協業)することもありました。(タイルのデザインやサイズは現在のJIS規格のように広く共有されていました)
代表的な例は「柏葉にどんぐり」のレリーフタイルです。陶磁器試験場(所)で開発されたこのタイルは、泰山製陶所が手起こしで製造した物、宇野製陶所が手起こしで製造した物、辻製作所窯業部が機械式プレス機で製造した物(泰平タイル)、3パターンが存在します。
柏葉にどんぐりのレリーフタイルは、東京都北区飛鳥山青淵文庫で使われているタイルが泰平タイルであることが広く知られている為、同じデザインのタイルは全て泰平タイルだと言われがちですが、同じ見た目でも違う製陶所が造ったタイルが存在することを是非知って頂きたいです。
トイレ
トイレの床には泰山タイルのみが張られています。紫色のタイルは7.5号角、辰砂釉。周りのタイルは7.5号角、伊羅保釉。こちらの二つは施工した際の記録も残っており確実に泰山タイルだと判っています。
腰壁のタイルは二丁掛けサイズ、布目柄、伊羅保釉。こちらは辻製作所窯業部により機械製造された泰平タイル。(泰平タイルの裏刻印を確認)
トイレ内上部の壁に使われている白色衛生タイルは、日本タイル工業製。(トンボマークの裏刻印を確認)
泰山さんがこだわったこと
泰山タイルが使われている建物に泰山製陶所以外のタイルが使われている理由を聞かれることがあります。
大きな理由に池田泰山のこだわりが挙げられます。池田泰山はタイルの使用に際し「適材適所」を掲げていました。その場所に最も合ったタイル(デザイン、機能面共に)を使うことをお施主さんや施工会社に提案し、時には別の製陶所のタイルを進めることがあったと言います。
更に、泰山タイルの製造工程全てが手作業による製造だった為、①一度にたくさんのタイルが造れなかったこと、②その為、納期に時間が必要だったこと、③手造りによりタイルの値段が高かったこと、これらの理由により泰山タイルのみを使用することが難しい状態でした。
ゆえに先に説明したように「同じデザインのタイルを別の製陶所が製造すること」が度々ありました。特に宇野製陶所や辻製陶所窯業部がその多くを「外注」と言う形で担っていたことが当時の記録からも判っています。ちなみに同じデザインで複数の製陶所が製造を行っていた場合、泰山タイルか別の製陶所のタイルなのか、その判断は建築家に委ねられていたとのこと。武田五一やヴォーリズは納期を優先し、泰山タイルから泰平タイルへの使用に切り替えて行った理由のひとつがそこにあります。
※ 協業、外注、下請け、この3つはタイル製造においてそれぞれ別の意味を持ちます。
モラルとマナー
2024年10月。池田泰佑さん、中村タイルさん、柏原の三者にて、きんせ旅館タイルの共同調査を行いました。
池田さんが静かにタイルと向き合っている姿が印象的です。「見るたびに印象が変わるタイル。」「触るとおじいさん(池田泰山)の声が聴こえる気がする。」との言葉に深い感銘を受けました。
きんせ旅館さんでタイルを見学する際には必ずカフェのご利用が必要です。店内をふらふら歩き回るなど、タイル見学ありきの行動は絶対におやめ下さい。
写真撮影する際には店主さんに許可を頂いて下さい。マナーとモラル、他のお客様への配慮を忘れないで下さい。
内容は全て独自調査による一次情報です。使用、転載の場合には必ずご連絡を下さい。マナーとモラルを持った活動を切に願います。尚、写真は許可を取って撮影、掲載をしています。)