集成モザイク作家池田 泰佑

1943年池田泰山の孫として京都に生まれ、数多くの彫刻作品で入選を果たし、1969年に泰山製陶所へ入所。1990年京展(陶製モザイク)入選からモザイクタイルの壁画制作による個展などを開催、活動をしている。

泰山タイル愛好家柏原 卓之

泰山タイル愛好家。泰山タイルの救出を目的とした収集活動を行う。50作品以上を所有する日本一のコレクター。

令和泰山運営事務局
代表 中村 祐幸(右)・運営委員 嵯峨 広造(左)

大阪で70年以上続く老舗のタイル専門商社・施工会社による運営事務局。
きっかけは、倉庫で見つけた一枚のタイル。泰山タイルを後世に残すため、2023年6月に設立。

※本インタビューは、2022年10月20日現在の内容です。

泰山タイルの特長とは

池田:
泰山タイルの特長の1つですが、窯変といって高温の窯の中で釉薬の色が変わる化学反応があります。焼きあがると2枚同じものはできないんです。本来であれば、焼きあがったときに釉の仕上がりをそろえないと商品にならないと言われているタイルですが、意図的にそれぞれ一枚一枚、色の変化を出すのが泰山タイルです。
こんなに違う色なのに、同じ釉薬なんですか?
池田:
釉薬が1つであっても、ここまで変化します。窯の中で置く場所や温度によって色が変わります。酸化と還元の反応ですね。もう1つ、泰山タイルの釉薬は表面が高く盛り上がっているというのも大きな特長です。一般の方が、町で見かけてこれは泰山タイルだろうかと思ったら、最初は釉薬が盛り上がっているかいないかを見比べてもらったらいいと思います。この釉薬の盛り上がりというのは、釉薬そのものに加えて、タイル造りの最初の工程から他のタイルと異なっています。
釉を塗る前の工程ですか。
池田:
今日、大量生産されているタイルは機械のプレスで型を取ります。ですから、土が締まっていて固いんです。泰山は、手起こしと言いまして、すべて人の手で石膏型に土を詰め、それを起こしていました。手起こしだと同じ土でも機械とは柔らかさが格段に違うんです。それで釉薬を塗ったときに、この土の中の見えないくらい小さい孔に染み込んでいきます。固い土だとそうならず、釉薬が載らずに流れてしまいます。
それで、焼きあがるとふっくらした感じになるんですね。
池田:
そうですね。その土が、泰山タイルの大きな特長になります。他にも布目やスクラッチタイルなども制作していました。

建築資材として数多くの建築物に採用

一枚一枚、違う表情の装飾タイルの貼り合わせ方というのは、どう指示されていたのでしょうか。実際の現場では左官職人さんの手に委ねられると思うのですが。
池田:
焼き上がって出荷する段階で、当該の建物に貼ったときに設計者が予想した通りになるよう、計算してタイルを箱詰めしていくわけです。箱から順番に貼ってもらったら、きちんと設計通りのデザインが出来上がるように詰めていたようです。
中村:
そこはタイルに共通する強みで、指定通り順番に貼ってもらえば同じようにできあがりますからね。
柏原:
泰山製陶所で、貼っていく順番を指定して、タイルを箱詰めしていくわけですよね。
池田:
そうです。1枚1枚、同じものが重なることがないようにとか、ランダムな色合いになるようにとか考えながらの作業です。ここの部分は濃い目のこういう色合い、その少し上がもう少し薄く、などという設計者の細かい注文がある場合は、その形で貼ってもらえるような順番で箱詰めします。それほど複雑でない普通のタイルであればあまり考えないですみますが、建築家が意匠を凝らしたものになると、設計した建築家、泰山、そして左官職人が細かい話し合いをしたうえで、現場に立ち会いながら建物に貼っていくことも多かったようです。
柏原:
そういうことは現代のタイルではほとんどありませんね。大量生産のタイルだと、すべて同じ仕上がりで、どの順番で貼っても差はない。
中村:
そうですね。よほど変わった種類のものであったり、違う色のものであったり、今でも複雑な装飾タイルなどはそういうこともありますが、そういう施工はほとんどなくなりましたね。
柏原:
京都の左官職人さんで93歳の方がいらっしゃるんですけども、その方は昔、よく九条の泰山製陶所に行ってはタイルを卸売りしてもらって、泰山タイルを希望するお客さんの所で貼っていたそうです。その方が泰山タイルを施工した物件のリストが残っていまして。その現場を探訪すると、その職人さん独特の貼り方っていうのが、やっぱりあるんですよ。
職人さんの手癖というか、好みのような。
柏原:
そう、癖があって。タイルの間の目地が離れていたり、横の目地は作るけど縦は作らないとか。そういう職人さんのこだわりがあるので、1つ1つ訪ね歩いていくと、その左官職人さんや大工さんの特長も分かるというのもタイル建築の面白さと思います。
タイルそのものの魅力に加えて、タイルを扱った人の味わいも出てくるわけですね。
中村:
そうですね。そこは本当にタイルの大きな魅力です。

新しい形での、古い文化の継承

今日のタイル文化では、左官職人さんの出番が少なくなったと聞きます。トイレやお風呂も全部ユニットになってしまっていますし。
中村:
そうですね。もともとスペイン風邪流行のときに、白い磁器を水屋のところに貼って衛生的に使う工夫のようなものからタイルが広まった経緯があるので、少し前までは水回りに多く使われてました。タイルは全国的にあっという間に広まったので、一枚一枚手焼きの高価な装飾タイルであったり高級建築の贅沢品であったりしたものに代わって、工場で大量生産された画一的な商品が多く出回るようになった。さらに、昭和の東京オリンピックのホテル建築ラッシュのころから、ユニットのバスやトイレが増えて、タイル施工の数自体が徐々に減少しました。
嵯峨:
さらに土という資源が少なくなっていますし、資材を運ぶ人も少なくなりました。タイルを作る工場も少なくなりました。これから日本は、8千万人という人口減少が目の前に迫っていて、新しい建築物も減っていきます。大量生産の方式のままではタイル文化は残せるはずがないんです。
中村:
しかし昨今は、タイルの表面にデザインを転写するという技術がいま進んでいるので、タイルには見えない木目調だったり、鉄のような表情だったり、いろんなタイルが登場してきています。また、湿気を吸収したり、消臭機能のある機能的なタイルも普及してきました。今では、それが結構内装の壁に使わるようになっています。昔のタイルとは違う部分で、違った使われ方を通して違ったタイル文化が形成されつつあります。
100年の時間をかけて進化してきたわけですね、タイルそのものが。
柏原:
そう。そうなんです。
(全員が大きくうなずく)
池田:
私は、やはり泰山の言っていたように、建物あっての住む人あってのタイルと思っていますから、これからはむしろ、建物のポイントになるところに、住む人使う人が一番好きな模様の装飾タイルや高品質のタイルを上手く取り入れて施工されるような使い方が主流になっていくのが望ましいと思います。
嵯峨:
現存している建物を保存することで、これまでの100年のタイル文化を遺すというのは1つの手段だと思いますが、記憶に残すという作業も大事かと思います。文化をつないでいく作業というのは、人々の記憶として残すということではないかと思います。今回のように、こういう形で池田先生や柏原さんにお話しを伺い、それを語り継いでいくという。現存するタイル文化を保存して残すだけではなくて、その時代時代に応じた形に適応させて遺していくっていうことが、僕たちが考える文化の形なのではないかと。
柏原:
残ったものを保存するだけだと、単なる保存活動に終わってしまうかもしれませんね。やっぱり文化をつないでいくってことは、その価値を正しく理解した上で、根底にある思想や理念を時代に適応させて、形を変えて残していくことではないでしょうか。私は、泰山タイルを通して、その活動に関わる機会をもらったようなものですが。
池田:
泰山は私が7歳のときに亡くなりましたが、美術工芸大学を出て26歳のときに泰山製陶所に入社して、古参の従業員の方々から泰山についていろいろと教えてもらいました。泰山製陶所は昭和48年(1973年)に閉鎖しましたが、その時、これだけは残したいと考えて進んだのが今の集成モザイクの制作です。
それも新しい形での古い文化の継承ですね。皆さま、本日は貴重なお話をありがとうございました。
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